牧師よりのMessage 2009.10.9

台風が来たり、雨が降ったりするごとに、秋の深まりを感じるこの頃です。
お元気でお過ごしでしょうか。
体調を崩しやすい季節でもあります。どうぞご自愛下さい。

秋らしい話題をひとつ。先日、家内が栗おこわを作ってくれました。

栗おこわって、結構作るのが大変なんですね。何が大変って、栗の皮むき、特に中の渋皮むきが時間のかかることかかること。子供達も少し手伝っていましたが、夜遅くまで、しかも何日かに渡っての格闘の末、ようやく美味しい栗おこわが完成。料理の苦労もある程度見ていたので、本当に有り難い、そして美味しい栗おこわでした。

季節に応じて大変ながらも料理を工夫してくれる家内の存在、とても有り難いです。感謝

さて、話題はまったく変わりますが…。

今年の夏も当教団の西日本教区では、牧師達を大阪に集めて二泊三日の牧師会が持たれました。報告やディスカッションや勉強会といった内容の三日間でしたが、中日は他教団の牧師をお招きしての講義がありました。

この先生は、千葉のほうで一生懸命に開拓伝道をされていた方です。駅などの人通りの多いところに行ってはビラ配りをしたり、講演会を開いたり、コンサートを開いたり、とにかく熱心に昼も夜も働かれ、ついに30名ほどが洗礼を受けて教会員となったそうです。

ところが、です。苦労して集めたその教会員が、一人去り、二人去り…。そしてとうとう先生の家族だけになってしまったそうです。ある教会員は、「先生にはついていけません」と言い残して去っていきました。大きな挫折の経験でした。

立ち上がれないほどの挫折感に打ちのめされ、しかし、先生はもう一度、静かに聖書を読み始めました。すると、新たに気づかされたことがあったそうです。

その気づかされたことというのは、こういうことでした。今まで、自分は教会を成長させよう、人を増やそう、教会員を訓練しよう、そう思って必死にできることを精一杯やってきたけれど、イエス様が教えておられることは「愛し合いなさい」という教えだった。自分はそれを忘れて、ただ教会を大きくしようとしていた。

先生は、そのときから、まず、一番身近にいる奥様、そして子供さん達を愛することを始めたとのことでした。始めた、といっても自分にはできないので、お祈りして、神の恵みによって愛することを始めたそうです。

すると、思ってもみない方法で、人が新たに導かれ、イエス様を救い主として受け入れる人が一人、また一人と与えられるようになり、何年か経ってみると、以前の人数より何倍も大勢の集まりになっていた、とのことでした。

なんだか、とても納得させられる内容の講義でした。

イエス様は、今日も私たち一人一人に語りかけておられます。

「互いに愛し合いなさい」。

私たちの人生に、この「互いに愛し合う」ということがなければ、本当に寂しい日々となってしまいます。

確かに、真実な意味においてこれを実行しようとすれば、必ず無力な自分の姿と出会います。愛の無い自分と向き合うことになります。しかし、今も生きて働いておられる神は、私たちが心を込めて祈るその祈りに応えて助けて下さる方です。

今日、心を低くして神の恵みに頼り、互いに愛し合う人生を歩ませて下さいと、共に祈り、歩み出しましょう。

神の御力が現されますように。

牧師よりのMessage 2009.10.9